春雨☆サラダ

50歳 2児の父‼️ 好きなものはハードロック、JAZZ、ゴルフ、カメラ、ラグビー、バーボン、芋焼酎、中村あゆみ、高崎晃、ランディローズ、前田日明、田村潔司… 愛読書は北方謙三… 一番大切なものは、晩酌と子供たちとの時間!

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昔は良くあった、テレビ放送のつなぎ目?

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 ボクが子供のころは、テレビを見ていると、番組が切り替わる瞬間やCMが切り替わる瞬間に、ほんのコンマ何秒かではあるが、他のCMが一瞬映ることが良くあった(笑)

 

 昔から気になっていたが、地方に住んでいるため東京のキー局とは放送番組やスポンサーが異なっていて、このような現象が起きるのだろうと思っていた。

 

 一方で家電製品の進化は速く、ビデオデッキはハードディスクやブルーレイに替わり、テレビ放送自体もデジタル放送になった。

 

 お蔭で映像は鮮やかになるし、番組の録画なども非常にラクになった。ビデオの予約録画で一世を風靡した“Gコード”も、いつの間にか新聞紙面上から消えている。

 

 また、録画した番組を視聴するにしても、1本のビデオテープに複数の番組を録画してあるため、見たい番組を探し当てるのに、タイムカウンターを見ながら早送りしたり、巻き戻したりして探り当てていた。

 

 今思うと何ともアナログチックな作業を良くもしていたものだ…

 

 しかしこれだけ技術が進歩しても、あの一瞬映る“他の映像”は、時~々見かける。

 

 放送業界や機器についてはてんで素人であり全く分からないが、現代の技術を以ってしても解決出来ないほどの難しいことなのであろう…

 

 デジタル化が進む中、昔と変わらぬアナログチックな現象が残っていることが、なんとも微笑ましい!

 

 子供達がテレビを観ていて「今、○○が見えた!」と興奮して騒ぐたびに、自分の子供の頃を思い出すようで心が温まるから…

されど年賀状が好き!!

 

 

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 異常気象のせいだろうか…

 

 移ろいゆく季節を、暦に定められた行事通りに変わりゆく街の風景にて感じてしまう事に近頃寂しさを覚える。

 

 明日から11月だというのに暖かいため、秋の装いで街を歩いていると、年賀状プリントのパンフレットが、カメラ屋やスーパーの店頭に設置されているのを目にして、年末の近いことを知らされた。

 

 これは地球温暖化の影響だけではないのだと思う。

 

 私が幼少の頃は、電源を入れれば直ぐに暖かくなる今の様な暖房器具は無く、湿気の多い季節でも快適に過ごせるエアコンも普及しておらず、それらの“不便さ”が“季節”を教えてくれていたように思われる。

 

 そういえば、年賀状を作るにしても、昔は色々と“不便さ”があった。

 

 小学生の頃は、まずデザインについて散々悩んだ末に、彫刻刀片手にゴム判や板判と数日かけて格闘して作成していた。

 

 その後“プリントゴッコ”なる画期的な商品が発売され、年賀状印刷に費やす時間は大きく短縮された。また、デザインを考えるでも多くの可能性をもたらした。

 

 思春期真っ只中の私は、当時の用語で“ダサい”ものを送りたくなく、構想で悩む時間は増えてしまった。

 

 そして、いざ“印刷”という段階になって、プリントゴッコのインクの残量が少ないことに気付き探し回るも、その頃になると文房具店やホームセンターの店頭はどこもインクが品薄となっており、その入手に一苦労したこともある。(特に黒色…)

 

 そうこうしている内に、年賀状が元日に配達される投函期限まで僅かとなり、久方ぶりの友人にさえ「今年もよろしく」「また一緒に遊ぼう」といったレベルのコメントを書くのが精一杯で、自身の近況を伝える余裕など無くなってしまう。

 

 それでも、私はこの「年賀状」という習慣をとても大切にしている。

 

 最近ではメール、ライン等により、年賀状の量が大きく減少していると聞く。

 

 また、住所録管理から宛名書き印刷までしてくれる便利なパソコンソフトの普及により、年に一度、恩師・親族・友人・知人の名前を、自身の手で書く行為ですら略せるものとなってしまった。要するに、「自署」「自作(手作り)」なる部分がどんどん減少してしまっているのだ。

 

 それもあり、私は小さなこだわりとして、年賀状には必ず、自身の字で一言添えることにしている。

 

 元々、字は上手くない上に、年末でバタバタしている中、必ずしも“丁寧”に書けるものではない。

 

 しかしながら、正月を迎え晴れやかな気持ちで、ほろ酔いかげんでいる友人達を想いつつ、年に一度でも“私の事”を思い出して頂きたいとの思いを込めて、近況を少しでも書くようにしている。

 

 年に一度、そのような想いで年賀状を書く事でその人に思いを馳せ、最近疎遠になってしまった人とは、近く逢いたいと思い立つこともあるのだ。

 

 逆に、一言でも手書きのコメントが添えられている年賀状を受け取ると、そこから様々な想いを巡らせることになる。

 

 小学校からの旧友などは、書かれている内容だけでなく、昔から変わらぬその文字に懐かしさを覚える。

 

 また、普段はメールのやり取りで“直筆”を見る機会の無い人など、書かれている文字を見て、イメージと一致していることに妙に納得してみたり、逆に意外なほど綺麗な文字を書く人だと知り、その人を見る目が変わったり…

 

 パソコンやスマホの普及で、お互いの“直筆”を取り交わすことが減ってしまった現在、「字は体を表す」という言葉を私は年賀状を通して体感することが多い。

 

 ライン、メールでの遣り取りが多くなった時代だからこそ、年に一度は互いの“直筆”を遣り取りしたいものである。

 

 きっと“絵文字”“顔文字”“スタンプ”に勝るとも劣らぬ、“想い”を伝えるツールになることだろう。

交通標識って、分かりづらくありませんか?(たまには真剣な提言!)

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 男女や年齢にて差別してはいけないのは承知しているが、車の運転をしていて、年配の女性の自転車や、子供達の自転車にヒヤリとさせられる場面が多々ある。

 

 年配の女性の方で多いのは、後方を確認することなく突然道路を左端から右端に斜め横断したり、曲がり角を一旦停止もせずに突然飛び出してくることである。

 

 余りにもひどい場合、クラクションを鳴らして警告してみると、大抵こちらが睨まれる… そして何故かいつまでも睨んでいる…

 

 自分はちっとも悪いと思っていないからなのだろう…

 

 子供達でいえば、高校生はまず一旦停止することはないし、信号の無い交差点でも、クルマが来ないとの思い込みのもと、全く止まらずに進入して来る。

 

 自ら事故に遭う確率を高めているようで、見ている方が冷や汗を掻いてしまう。

 

 なぜだろう…

 

 自転車は免許証が不要なため、交通標識やルールを十分に勉強せずに乗っているからなのだろうか。

 

 私は運転免許の試験において、ペーパーテストで2回も落ちた。

 

 結局、必至に勉強してやっとの思いで合格出来た。ただ、そこまでして勉強しなければ覚えられない、交通標識やルールとは何なのだろう、と疑問に思ったのも事実である。

 

 例えば一旦停止の標識にしても、先の年配の女性や高校生を始め、自転車で走る人達がどの程度知っているのか常々疑問に思っている。また、目線が低い子供達に、高く掲げられた交通標識が目に入るのだろうか。

 

 そこで交通標識やルールの内、重要なものについては、老若男女を問わず、自動車免許を持っていない人でも、誰もが一目で判るものに出来ないだろうか。

 

 分かりやすいのは道路上に標すことであろう。一旦停止の白線や標識よりも、道路上に大きく「一旦停止」と描かれていた方が分かり易い。

 

 更に言うと、一旦停止という言葉自体が、小さな子供達や自動車運転に縁のない人達には難解な言葉なのかもしれない。

 

 “一度止まれ”などといった、平易な言葉を道路上に標しても良いのではないだろうか。

 

 何となく、交通ルールの主役は自動車のドライバーであり、それを伝える標識も“記号”が主役となっていて、それ以上に通行量の多い歩行者や自転車に対する、視覚的な訴えが少ないように感じる。

 

 いつ、自分自身が交通事故の被害者となり、加害者となるか分からない時代である。

 出来ることならば、もう少し判り易い交通ルールの標記を望む。

増毛CMに出ている人は、カミングアウト!?

 「ハゲ」「メガネ」「デブ」の三重苦に悩む、もうすぐ49歳…

 

 近頃思うのは、増毛CMに出ている人、結構「私は○○してます!」って言っちゃってますけど、それってハゲてますというカミングアウトなのでしょうか?

 

 今まで、芸能人はハゲが少ないな~って、何となくは思っていましたが…

 

 たくさんの方々が私と同じだとしたら、一人のハゲとして、この人もか、この人もかと、仲間が増えることが大変嬉しく、自信が持てるのですが…

 

 みなさま、どう思われます?

 

 

 

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www.artnature.co.jp

 

www.aderans.co.jp

プロはかなり緩和されているのに… いつになったら、子供たちの部活動は…

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 最近ではプロのスポーツは、徐々に観客動員数を増加させており、テレビ画面で見る限りでは、もう「普通」の状態に戻って来ているような気がする。

(もともと、すべてのスポーツが、全試合満席ということはなかったはずだし…)

 

 一方、我が子たちの部活動については、やっと秋になって「新人戦」やら、「冬の選手権の予選」が正常に始まったものの、やはり観客については非常に限られている…

 

 ラグビーは、選手の父兄しか見ることが出来ず、最後の選手権なのに、今まで一緒になって支えてきたOBやら、保護者会は観戦出来ず…

 

 更に剣道については、室内ということもあって、親は全保護者から1名のみ…

 

 修学旅行を泣く泣く取り止める学校が相次ぐ中、世間では「GO TO キャンペーン」が真っ盛り…

 

 「新型コロナウィルスの感染抑制」と「経済活動の両立」を掲げる風潮であるが、人生に一度しかない、子供たちの「今しか出来ないこと」にも、何とか尽力頂けないであろうか…

私の愛する”芋”焼酎

今週のお題「いも」

 

 私の父の生まれは、熊本県八代市坂本村… 豪雨被害が大変であったところ…

 

 それゆえに、父の実家に帰ると「芋焼酎」のオンパレード…

 

 お湯をグラスに半分入れて、後から焼酎を半分…

 

 芋焼酎は、不思議といくら飲んでも、次の日に頭が痛くならない!

 

 今は亡き、父が愛した芋焼酎を二つご紹介

 

 1.父が一番好きだったのは、なんといっても「村尾」!

 

 2.昔は安価で買えた「伊佐美

 

 

 ちょっとセンチな父との思い出です!

 

平日は… 仕事終わってお酒を飲んで寝るだけ…

 中々、平日にブログの更新が出来ない…

 

 だって、仕事から帰って来て、シャワーを速攻浴びて、いつでも寝れるように布団を敷く…  この間、15分…

 

 そして、すぐに晩酌開始!

 

 そして、酔いに任せて眠りにつく… 

 

 そんな中年男真っ盛り!

学校で習ったことへの疑問… (数字のカンマ)

先日、子供の算数の宿題を見ていて、その内容に疑問に思うことがあった。
 
それは、数字の桁に付けるカンマ…
 
大きな数を読み易くするために一定の“桁”ごとに付していくのだが、そのルールが学校で教わることと実社会での常識とで異なることだ。
 
小学校の算数では4桁単位でカンマを付すよう教わる。
 
よって、一番始めにカンマを打つのは1,0000(1万)だ。
 
一方、実社会では3桁ごとにカンマを付して行くので、一番始めのカンマは1,000(1千)である。
 
レシート・領収書しかり、注文書・受注書しかり、小切手や手形しかり、決算関係書類しかり、…パソコンでの変換候補ですら、3桁ごとのコンマが表示される。
 
私がその違和感を初めて体感したのは、喫茶店でのアルバイトの時であった。
 
レジスターに入力した金額は3桁ごとにカンマが表示される。
 
また、伝票の締め上げに使う電卓も3桁ごとにカンマが表れるし、それを帳簿に記入する際も3桁ごとにカンマを付して記入する。慣れるまでは、常に違和感を持っての作業であった。

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就職して社会に出ると、目にする数値は更に大きなものとなり、慣れるまでに苦労した。
 
今まで学校で習った4桁の表示ならば、100万円であればカンマは万円のところにあるので、コンマより前に100とあれば100万円であり判り易かった。
 
しかし3桁ごとのカンマでは、100万円であれば“1”のすぐ右側にカンマが付き、次にカンマが登場するのは10億円となる。
 
カンマの位置と“千”“万”“億”といった桁の呼び名が変わる位置と一致していないのだ。
 
どう考えても4桁ごとのカンマの方が数字を読解する上でラクであったが、実社会で仕事をして行くには3桁のカンマに慣れるしかなく、今ではすっかり3桁カンマが“普通”になった。
 
それでは、学生時代に教わったものは何であったのだろう…
 
算数や数学という学問を学ぶ上では良いのかも知れないが、どうせなら実社会に出てから役立つものを学びたかった…
 
義務教育というのは、学問を追及するというよりは、広く一般常識を身に付けて社会に出るための教育と思うのだが…

音痴…

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 私は音痴だ。

 

 加えて、声の音域も非常に狭い。

 

 カラオケに行っても、高い声が出ないために1音程度下げると、今度は低い声が出なくなってしまう。音域が狭いため、自ずと歌える曲は限られる。

 

 よって、私の“持ち歌”とは、一般的な人の“十八番”とは異なる…

 好き嫌いに関係なく、それしか歌えないのだ。

 

 その数少ないレパートリーを歌ったとしても、私は微妙に音程が外れているらしい。

 

 テレビ番組でタレントが思いっきり音を外し、笑いを誘うようなものがあるが、私の場合、所々音程が外れて全体的に変なものとなる為、周りは笑えない正真正銘の“音痴”に入ってしまうのだ…

 

 それを正面切って指摘してくれるのは、妻や子供達だけ…

 

 カラオケに行っても中々マイクを持たない私に、歌うことを熱心に勧めて来た人達は、私の歌が終わると、他の人以上にとても大きな拍手をしてくれる。

 気を遣ってくれているのだろうが、それがまた心に痛い…

 

 その後、歌うことを勧められることは無くなるのだが、私としても気まずい雰囲気を作ってしまい申し訳なく思う。

 

 この気持ち、音痴にしか分からないだろう…

 

 カラオケで自分のお気に入りの歌を、声を張り上げ気持ち良さそうに歌う人を見ると、とても羨ましいが、こればかりは練習で克服出来るものではないと思う。

 

 自分では音程が外れているとの認識が無く、“合っている”と思い歌っているからである。

 

 他の音痴の方々は、カラオケなどでどの様にしているのだろうか…

 

 私の経験則では「ボク、歌が下手ですから…」と言っても、それで断ることが出来た例(ためし)はない…

 

 遠慮しているものと受け取られ、却って勧めて来るのだが…

やっぱり、シーチキン on the ライス

今週のお題「ごはんのお供」

 

 私のお勧めは、「スピード」「安価」「健康」の三拍子が揃った、シーチキン on the ライス!

 

 作り方は、シーチキンの缶詰一つを、上手に上蓋で押さえながら、オイルを絞りきる。

 

 ここでのポイントは、上蓋でぎゅっと中身を押さえつけることで、缶の3分の1のスペースを確保することにある!

 

 そして、その3分の1のスペースにマヨネーズをお好みのより投入!

 

 すると、缶の中で上手にかき混ぜることができます。

 

 あとは、ほかほかのご飯にかけるだけ!

 

 ツナおにぎりの、具をたっぷり味わえる贅沢な感じがサイコーです。

 

 ここで、40代後半となり、健康にも気を遣い始めた私の、ちょっとした健康アレンジを…

 

〔ポイント1〕

   シーチキン自体、もう十分に健康的なものであるが、更なる健康を目指して、

  ノンオイルのシーチキンに変えてみる。

 

〔ポイント2〕

   マヨネーズではなく、ちょっと高いけど、コレステロールを下げるものを使う。

 

〔ポイント3〕

   せっかく、ノンオイルにしたのに矛盾するかもしれないが、抗酸化作用があり、

  ビタミンEたっぷりの米油を、大さじ1杯入れてみる。

   (バローとかの安いのでも十分です)