春雨☆サラダ

50歳 2児の父‼️ 好きなものはハードロック、JAZZ、ゴルフ、カメラ、ラグビー、バーボン、芋焼酎、中村あゆみ、高崎晃、ランディローズ、前田日明、田村潔司… 愛読書は北方謙三… 一番大切なものは、晩酌と子供たちとの時間!

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ブロガーの皆さまに感謝! (本年の誓いを再び)

 

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 ↑ 私の大好きなアルバムです! 映画もサイコーです。 ライバルとしてなんとあのスティーブ・ヴァイが出演して、ギターバトル! YouTubeでも観れます。(^_^)本文とは関係ありません…

 

 



 1月1日の記事で、以下のように本年の誓いを立てた。

 

 …今年は、例え3日と続かず2日で終わろうとも、そこからなるだけ時間を空けずに「また始める」 ことを1年間続けてみることにした…

  「毎日続ける」「週に何回行う」っていう、ハードルールを止めて、自分に甘く、時間も回数も「テキトー」で良いので、とりあえず1年間続けてみることを目標とした。

 

 しかしながら…

 

 新年そうそうから、それですら出来ずに、だらだらと過ごす毎日が…

 

 そんな中、また、皆さまのブログを読ませて頂き、大いなるヒントを得た。

 

 それは、何人かのブロガーの方が、「やりたいことリスト」ではなく、「止めることリスト」を新年に掲げたというものだ。

 

 さっそく、実行してみた。

 

 まずは、朝起きてからの日課であったLINE漫画を読むことを止めた。

 

 そして、同じく朝のルーティンであった、ツムツムも止めた。

 

 同じく朝の、楽天KOBOの無料漫画のチェック、ダウンロードを止めた。

 

 まだ、1週間ほどしか経っていないが、すると不思議なことが…

 

 まず、朝に「時間」が生まれる!

 

 そして、ソファーの上でスマホをいじってばかりいた土曜日、日曜日にも「時間」が生まれた!

 

 そうしたら、「やりたいことリスト」に掲げたものを行う時間が生まれた!

 

 あと、何といっても、皆さまのブログをじっくり読む時間が生まれた!

 

 私は読書が大好きです。

 

 自宅にいながらにして、様々な知識を仕入れることができて、さらに自分の人生のヒントや糧となるから…

 

 また、時には癒されて…

 

 同じように皆さまのブログを読むのが大好きです。

 (すみません、自分が書くよりも、読むほうが好きです…)

 

 やはり、読書と同じように「癒され」「人生のヒント」「知識」を得られるから…

 

 しかも、様々な世代の方、様々な価値観を持つ方が発信されることで、自ら手を伸ばさなければならない読書とは違い、今までの自分には無かった、今までの自分では見付けられなかったモノを掴めるから…

 

 (読書では、どうしても自分で本を選択するため、想定外の面白いモノや、貴重な情報を得ることは難しい…)

 

 今回も、「止めることリスト」を教えて頂いたブロガーの皆さまに、本当に感謝です。

 

 最後までお読みいただきありがとうございました。 

 

 

 

 

 

 

フォークダンスに想いを寄せて…

 

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 中学校の頃、体育祭で毎年行われるフォークダンスがとても嫌いだった。

 

 ダンス自体は難しいものでは無かったが、それを行うこと自体が、思春期真っ只中の中学生に対する配慮に欠けているように思えた。

 

 とにかく、音楽に合わせて男子と女子が、時に手を取り、腕を組みといった場面が、いかに多いことか…

 

 そして、内側で丸く円になっている女子達を、男子が順に周ることで、一人ずつ相手を変えて行く…

 

 いくら相手が変わろうと、どんな相手であろうとも、それは異性を強く意識し始めた生徒達にとって、非常に恥ずかしく、照れる行為なのである…

 

 ダンスの練習では、そんな「照れ」から手を繋ごうとしない徒達を、先生方は注意する。

 

 なぜ、この恥ずかしい気持ちが分からないのだろうと、当時散々思っていた。

 

 同じ保健体育の授業では、思春期に起こる現象の一つとして、異性への意識の高まりを教えていたはずなのに…

 

 とはいえ、体育祭本番では、大方の生徒達は渋々ながら手を取り、腕を組む。

 

 楽しくも無ければ、大した運動にもならない。

 

 外国のように、放課後や卒業式にダンスパーティーをする習慣などがあるわけもなく、私達にとってフォークダンスとは、体育祭の時にだけ突然登場する、意味も目的も分からぬ競技だった…

 

 そもそも、男女が気軽にふれあう「オープンな感覚」自体、「恥じらいを美」とする日本人に合っていないのではなかろうか…

 

 テレビを観ていて登場する外国の子供達は、本当に10代なのかと疑ってしまうほど大人びている。

 

 それは身体が大きいだけではなく、お化粧をしたり、髪にパーマをあてたり、高いヒールを履いたり…

 

 ダンスパーティーという文化の影響からなのか、何かとマセていて、大人びた文化が多い様に思われる。

 

 最近では日本の子供達も、食文化が欧米と似て来た為か、体格も良く、成長も早くなって来た。

 

 そしてなんと、体育の授業でダンスが必須となった。

 

 その内、ダンスパーティーなども開かれるようになって、普通の中学生でもお化粧などするようになるのだろうか…

 

 日本古来の「奥ゆかしさ」や「恥じらい」を美とする文化や風習が失われて行くようで、少し寂しさを感じる…

 

 確かに国際化への教育も必要なのかもしれない。

 

 しかしながら、誰もが海外を拠点にしたり、国際的な仕事をしているのではない

 

 国内の8割の人は中小企業に勤務しており、日本を支えている

 

 むしろ、日本人としての文化、風習、奥ゆかしさ、恥じらい等々を伝える教育に力を入れて貰いたい

 

 優秀な野球選手やサッカー選手が海外に出て行く…

 

 大手企業の工場が海外に進出して行く…

 

 これらは非常に残念である。

 

 それは日本国内の「チカラと活気」が海外に流出して行くことのように思えるから…

大人への憧れ… それは「長ズボンとストーブ」!

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

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 小学生の頃、大人になることに憧れた理由の一つに「長ズボンとストーブ」があった。

 

 私の住む街は、日本では温暖な地域と言われており、学校には暖房設備が一切なかった。

 

 また、長ズボンの着用も、体調が悪いなどの理由が無くては許されなかった為、長ズボンを穿いて登校することは風邪をひいている象徴でもあった。

 

 しかし、いくら温暖な地域といっても寒い時は寒い。

 

 平均気温では他よりも暖かいかも知れないが、朝晩の冷え込み(最低気温)を見ると、他と大差無い日もある。

 

 陽当りの良くない北側校舎などは冷え冷えしており、天気予報がいう最高気温まで上がることはない。

 

  更に細かいことを言うと、教室内であっても、窓側の席と廊下側の席とでの寒暖差は非常に大きい。

 

 席はくじ引きなどで決まるのだが、とにかく冬場は窓側の人気が高い。

 

 また、せっかく人の体温で暖かくなった教室も、休み時間の度に窓が開け放たれ、空気を入れ替えてしまうため、次の授業は、再び冷え冷えとした状態でスタートする。

 

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 その様な毎日だったので、職員室には設置されている石油ストーブが各教室にあったらどんなに素晴らしいことだろうかとか、父親を始め大人の人達が皆、長ズボンで通勤(いわゆるスーツ姿…)する姿に憧れた。

 

 とにかく大人になれば「あの暖かな生活」を手に入れることが出来るのだと信じていた。

 

 その願いは少しずつ叶って行き、中学に入って制服となったことで「長ズボン」を手に入れ、大学に入って、やっと「暖房のある教室」に辿り着いた…

 

 そして、憧れていた大人になった…

 

 すると不思議なことに、子供の頃には半ズボンで耐えられていた寒さが何倍にも寒く感じるようになってしまった…

 

 地球温暖化の影響で平均気温は上がっているとは聞くが、昔よりも寒くなっているとは耳にしたことが無い…

 

 大人になった私は、暖房が効いているオフィス内であっても、スーツのズボンの下にはスパッツを履き、ワイシャツの上にはカーディガンを羽織っている。

 

 更に通勤時にはマフラー、手袋、ジャンパー、カイロなどを総動員…

 

 確かに寒さを凌ぐ手段については、やりたい放題となったが、何のことはない…

 

 大人になれば寒さに弱くなり、沢山の防寒具を必要とし、それでも寒い寒いと震える辛い毎日が待っていた…

駐車場… 心にも白線を❕

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 最近の駐車場は、クルマの出し入れが非常に楽になった。

 

 その要因を考えてみると、クルマにバックモニターなどの設備が備わったこともあるが、やはり一番は隣の車との間隔に余裕が出来たことであろう。

 

 一昔前までの駐車場では、隣の車との境を示す白線は一本だけだった。

 

 その為、ある一台が白線の左側ギリギリに駐車すると、その隣に駐車する人は乗降スペースを確保するために、左の白線に寄せて駐車するという連鎖が続く…

 

 どこかで右の白線に寄せて駐車しているクルマがあり、そこに挟まれたスペースに駐車するならば、ドアを開けて外へ出ることは困難を極める…

 

 また、駐車した時は左右に余裕があったものの、買い物から帰ると左右のクルマが接近していて、クルマに乗り込むのに苦労することもあった…

 

 しかし最近の駐車場はちと違う!

 

 一定のスペースが確保出来るように、白線が一本ではなく、前方で半円を描く二本の白線で区切られているのだ。

 

 このお蔭で、心にも「ゆとり」というスペースが生まれ、駐車する際のストレスが減った。

 

 昔、仮面ライダー1号の腕にあった一本の白いラインが、再改造によって二本のラインへと変わり、能力が格段にパワーアップしたことを思い浮かべる!

 

 それほど、私にとっては画期的なことであった。

 

 ただ残念なのは、白線が二本となっても、何故かその白線一杯に、場合によっては若干白線を跨いで駐車するクルマがあることだ…

 

 白線が一本の時に比べればマシであるが、それでも乗降の際に気を配らなくてはならない…

 

 駐車スペースにゆとりが出来たことで、駐車する作業の粗雑さを招いているのだろうか…

 

 結局のところ、この不快感…

 

 皆が「気配り」というマナーの白線を、心に引けなければ無くならないのだろう…

 

若い頃、ヤンチャだった人の「今」を見て感じる…

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

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 私の経験則によると、若い頃にヤンチャしていた人、いわゆるヤンキーだった人は、男女問わずに、普通の人より早く大人になるような気がする。

 

 ヤンチャは10代の前半、思春期と第二期反抗期のまっただ中の中学生から始まり、度合や行動の違いこそあれ、とかく反体制に憧れる。

 

 それはバイクで戯れて走ることであったり、誰かと争うことであったり、社会や学校のルールに反する行為をしてみたり…

 

 しかしながら、その様な時期に十分ヤンチャをしていた人は、20歳を迎える頃にはすっかり落ち着き、身も心も“成人”していている様に思われる。

 

 何故だろう…

 

 多分、中学卒業と同時に、または高校卒業を待たずに社会へ出ることで、自分で生計を立てることの難しさ、世の中を生きることの厳しさを、早くから経験するからではなかろうか。

 

 そこでのルールは、学校の校則などとは異なり、守らなければ自分の信用を失い、それは自分自身の生活に、そのまま撥ね返って来るのだ。

 

 同じ時期に、衣食住を始め、様々なことで「親」という存在に守られている者とは違う。

 

 ところが、最近では20歳を過ぎても落ち着かない人達の様子が、ブラウン管を通して報じられたりする。

 

 その歳になってまで、社会のルールや厳しさを感じずに、親に大切にされているのか…

 

 または、一般社会が「厳しさに薄れた世の中」へとなって来たのだろうか…

 

 いずれにせよ、今後のこの国の行く末を考えると非常に不安を感じてしまう…

明けましておめでとうございます! 脂肪肝から脱出しました!

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 明けましておめでとうございます!

 

 年末年始の仕事の忙しさに撲殺され、気がついたら、10日以上もブログ更新出来ていませんでした…

 

 ダメですね~

 

  今年の目標はズバリ「テキトーに継続!」

 

 何事にも飽きっぽい私…

 

 いつも年初に「今年の目標」「今年やりたいこと」を計画するのですが、大抵は続かない…

 

 初めの3日は続いても、何かの拍子に一度途切れてしまうと、次に開始するまでに、非常に長~いインターバル…

 

 よって、それまで続けてきたモノ、技術等がまた一からってことが多く、1年終わってみれば、結局、大して成長していない自分に情けなくなる年末の繰り返し…

 

 だから今年は、例え3日と続かず2日で終わろうとも、そこからなるだけ時間を空けずに「また始める」 ことを1年間続けてみることにした。

 

 「毎日続ける」「週に何回行う」っていう、ハードルール(一般の人にとっては普通のことです…)を止めて、自分に甘く、時間も回数も「テキトー」で良いので、とりあえず1年間続けてみることを目標とした。

 

 あと、年初に考えた目標も、飽きちゃったり、苦痛にかんじたら「すぐに変えちゃう!」ってこととした。

 

 50歳を手前にして、今更ながらに、自分の「飽きっぽい性格」「続かない性格」を受け入れ、ゆる~く生きてみることとした。

(やっと、普通の人のような、しっかりした目標は貫徹出来ない性格を、受け入れたいと考えた。)

 

 これによって、1年後、今までに見えなかったことが見えてこないかな~って

 

 今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

結婚とは!

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 結婚とは、異なる2つの文化が交わることだと、私は考える。

 

 といっても、それほど大そうなことではない…

 

 例えば飲食で言うと、私は天ぷらを食べる際、天つゆが用意されていないとソースで食べる。

 

 それは、醤油を使用する妻からすると、信じられない行為らしい。

 

 そのソースにしても、私はウスターソース派で、揚げ物などにビッチャリと掛けて食べるのが好きだ。

 

 一方で妻は中濃派。

 

 揚げ物の上に少し掛けるだけだ。

 

 ある日、白菜の漬物に「味の素」を振り掛け、醤油を垂らして食べたところ、信じられないような目で見られた。

 

 私からすると普通の行為であり、実家にいた頃から「我が家」の定番であった。

 

 その他にも、から揚げ、目玉焼きなどにケチャップは欠かせないが、妻から言わせれば、それぞれ塩コショウなどで味が付いているので、そのまま食べるのが普通だそうだ。

 

 基本的に、関東出身の妻は薄味派で、私は濃口の味が好きだ。

 

 ただ私の好みにしても、父が熊本の出身なので、静岡と熊本の文化が融合した結果とも言える。

 

 そして私の子供達はというと…

 

 「味の素」と「醤油」という文化を大変気に入ってくれている。

 

 ソースもウスターソース派で、それに浸すようにして揚げ物を食べる。

 

 一方で、目玉焼きやから揚げなどにケチャップを掛けることはしない。

 

 サラダはオリーブオイルと塩だけのシンプルな味付けで食する。

 

 この様にして、私達の子供の習慣が出来て行くことは、私達の結婚によって、新しい文化が生まれた結果だというのは、言いすぎなのだろうか…

 

 その子供達の習慣の中に、「焼いた餅」「卵かけご飯」には「熊本の濃口醤油を付けて食べる」という、私の父の習慣もしっかり伝わっていることが微笑ましい。

 

 お題「#買って良かった2020」…

 というか、もう我が家に欠かせない

サンタクロースの正体❕

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 ウチの子供たちは、小学校4年生ぐらいまでサンタクロースを信じていたと思う…

 

 そもそも子供たちがサンタの存在を疑い始めたのは、普段目にするテレビ番組や漫画雑誌によるものだった。

 

 クリスマスが近くなると、子供向けの「テレビ番組」や「マンガ雑誌」において、サンタの正体に対する配慮が不足しているものが多くなる…

 

 所々で、「両親がサンタであることを匂わす」シーンが登場するのだ。

 

 一緒にテレビを観ていて取り繕うことも出来ないし、下手な解説は却って不自然、逆効果だ。

 

 子供たちは何も言わないが、その様なものに接しているうちに、サンタの存在への疑いが確証へと変わって行ったのだろう。

 

 サンタの正体を見極めるために、イブの夜に遅くまで、一生懸命に布団で目を開けていた頃が懐かしい…

 

 出来ることなら、夜遅くまで起きていられる程に成長した子供たちに、プレゼントを置く姿を見つかることで、サンタの正体に気付いて貰いたかった…

 

 今この話を書いている最中にも、家族揃って観ているテレビ情報番組では、イマドキのクリスマスプレゼントを特集しており、リポーターが「サンタのお父さん、お母さん!」と呼びかけてしまっている…

お菓子のおまけ

 

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 子供たちが小さかった頃、一緒にスーパーマーケットに行くと、入った途端「あるコーナー」に向けて走り出す。

 

 我が家に限ったことではないだろうが、それはお菓子コーナーへ向けての“疾走”なのである。

 

 長男については、既にお金の価値を知っているので特に心配することはないが、お金の感覚を全く持たずに、まさに思いのまま、本能のまま欲しいモノを手にしてしまう長女については注意が必要である。

 

 一度欲しいと手にしたお菓子は“親の説得”というものには応じず、それ以上に魅力的な代替品を提示しないと手にしたものを手放すことはない。

 

 また、無理やり取り上げた場合には“店内で泣き叫ぶ”という展開になることも覚悟しなければならない。

 

 また、お菓子コーナーにあるものだからといって油断してはならない

 

 昔はお菓子に“おまけ”がついていたのが、今や“おまけ”がメインで、お菓子はラムネ1個と言う、いわゆる“食玩”が多いからである。

 

 それらは平均で300円前後の値段であり、本格的なものになると500円近い値段も覚悟しなくてはならない。

 

 いくら私の妻が新聞広告を見比べて、必要な生鮮食品類が1円でも安く買えるスーパーを探したとしても、食玩の購入によって、それは一瞬にして徒労に終わる…

 

 更にやっかいなのは、それら“食玩”は、大抵シリーズものになっており、一つ買ってしまうと、大体5種類くらい買い揃えないと、最終形態が完成しない仕組みとなっていることだ。

 

 一度そのシリーズを買ったら最後、スーパーに行く度に、子供たちは欠落しているものを買い求め、全てが揃うまでそれは続くのだった。

 

 またそれら食玩の内容も、値段が高いだけあって、もはやお菓子の“おまけ”とは言えないレベルのものである。

 

 男の子のものは、完全にプラモデルに近く、その組立に労を要する…

 

 また、女の子のものも、小さなシールを沢山貼るものが多く、細かい作業を苦手とする私の指先には苦痛でしかない。

 

 1円でも安いものを買い求める、親の気持ちも知らずに購入される“やっかい”な食玩

 

 でもね…

 

 今では大きくなって、食玩なんて買わなくなり、ましてや長男が一緒にスーパーに行くことなんか無くなった最近…

 

 妙にあの時、一緒になって食玩を組み立てていたことが懐かしく、 お金は掛かったけど、良き思い出となっていることに気付かされた今日この頃です…

 

大地の力には適わない…

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 時々見かけますね…

 

 この様な光景…

 

 これを見るたびに、どんなに硬いブロックも、アスファルトも、大地の生命力には敵わないって思うのです。

 

雨男、雨女… 失礼かもね~

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 台風が近付く季節、全国で「雨男」「雨女」さんが、話題に挙がる機会が多くなる。

 

 地方によって呼び方が多少異なるであろうが、その人物が旅行や遊びで外出すると、大抵天気が崩れるといった意味である。

 

 しかしながらこの言葉…

 

 口にする側には全く罪悪感は無く、言われる側も友人や家族など周りの人から長年に亘って言われ続けている内に、自分はそういう人物だと、半ば諦め、反論すらしないでいる場合も多い。

 

 反論したくとも、その事象には科学的根拠があるわけでも無く、何とな~くの感覚で言われているため、たまたま自分が外出した時に雨が降り、それを誰かに指摘されてもただただ苦笑するしかない。

 

 その様な「ちょっとした失礼な言葉」というのは、案外多いものだ

 

 血液型による人格や性格の判断も同様ではなかろうか…

 

 自分の性格がいけないのかもしれないが、わたしは血液型が「B型」だというだけで、何度か変な思いをしている…

 

 昔、下唇を裏返し遊んでいると「いかりや長介みたいになっちゃうよ!」と注意された。

 

 下あごを突き出してアントニオ猪木のマネをしていると「猪木みたいな顔になっちゃうよ!」と言われた。

 

 鼻に指を入れて鼻くそを取っていると「サブちゃんみないになっちゃうよ!」とも言われた。

 

 その当時は、良く分からなかったが、例えにされる人に対して、「大変失礼な言葉かも」? ( ´∀` )

やっぱり、本当のビールでしょ!

今週のお題「自分にご褒美」

 

 毎晩、晩酌しているけど、「尿酸値」「コレステロール」「糖質」等々、健康指導を受けた結果、いつも飲んでいるものはウイスキー

 

 ハイボールは嫌いでは無いため、特に苦痛を感じてはいないものの、本当に好きなのは”ビール”なのです!

 

 (そう言えば、昔はウイスキーソーダ水で割るハイボールって言い方… おっさんぽいのでバーボンソーダって呼んでいたけど、今ではハイボールって呼び方が定番となっているから不思議…)

 

 話はそれましたが、「自分へのご褒美」…

 

 それは、月に1回か2回、「本当のビール」を解禁することです!

 時々、どうしてもビールが飲みたい時は、金銭的理由もあって、第三のビールや、いいちこをホッピーで割ったりしています…

 ちょっと、リッチな時だと「発泡酒に行っちゃいます…

 

 でも、本当に本当に自分を讃えたい時は、「本当のビール」を買って、グラスとともに、冷凍庫でキンキンに冷やして、一気に飲み干し「プハー」ってやります。

 

 これぞ、本当に至福の時!

流行って何だろう? 誰が「創る」んだろう?

 

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 流行って何だろう?

 

 世界の中の誰かが発端となって、考えているものなのだろうか…

 

 「来年の春はパステルカラーが流行る」などと、まだ真冬の時期から報道されるのだが、何故その様なことが分かるのだろうか、不思議に思えてならない。

 

 幾らファッションショーなどで「その手」の作品が多かったからといって、それを人々が受け入れるとは、その時点ではまだ分からないのに…

 

 流行とは、多くの人達の共感を得て初めて成り立つものではなかろうか…

 

 ところが不思議なもので、一度流行してしまうと、今まで「格好良い」と思っていたものが、突然「格好悪く」目に映るようになってしまう

 

 私が高校、大学の頃は、スーツはダブルでガッチリした肩パット入りのもの、パンツは太目のツータックで裾を絞りジーンズはストーンウォッシュが定番であった…

 

 今の定番であるノータックのパンツに細身のスーツなど、ちょっと変わった人だけが着て、一般的にはダサくて恥ずかしいものだった

 

 ネクタイにしても、バブル時代は細いものが流行り、その後は太いもの、そして今また、細いものが流行っている。

 

 別に周りを気にしなくても良いのだが、多くの人達が着用していると、それが「標準」に思えて来て、自分もその仲間に入りたくなるのが流行なのだろう。

 

 仲間外れになりたくないとの心境でもあるのだ。

 

 そして流行は繰り返すとも言うが、そもそも何故「繰り返す」のだろう?

 

 それは「いつ」「誰が」「どこ」で”決めているのだろうか…

 

 高速道路の自然渋滞の先頭を見たいのと同じ位、それを知りたい…

 

 それにしても、昔は真面目な優等生だけが着用し、ダサさの象徴であったノータックのパンツがスタンダードになってしまう時代が来るなんて…

 

 そう思うとバブルの頃に着ていた、ダブルの肩パット入りスーツも、未だ捨てられずにいる…

狭い日本🗾 そんなに急いで「何」を得る?

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 高速道路の追い越し車線を、もの凄いスピードで駆け抜けて行く車がいる…

 

 朝の通勤では市街地にも関わらず、前の車との車間距離を少しでも詰めることに注力し、2車線道路に出たとたん、目まぐるしく車線変更を繰り返す世話しない車がいる…

 

 通勤時の光景は毎日のことでもあり、クルマもドライバーの顔も大概覚えてしまう。

 

 それらの中には、途中の「道の駅」や「自動販売機」で必ず一休みする車もいる。

 

 よって、一度は追い抜くことになるが、しばらくすると後方より、またしても目まぐるしく車線変更を繰り返し追い上げてくる車が、バックミラーに映し出されることとなる。

 

 高速道路でも、途中のサービスエリアでのんびり休憩でもしていたのか、凄いスピードで走り去って行ったクルマが、再度後方より姿を現すことも良くある。

 

 毎日の通勤に関して言うと、そんなに慌てて運転する位なら、あと5分早く家を出る工夫をすれば良いのではないか…

 

 それによって、周りのドライバーだけでなく自分自身も様々なイライラや緊張から解放されるのではないかと考えてしまう。

 

 高速道路も、スピードを出し続ける余り、緊張の連続で疲れてしまうよりは、のんびり運転して、休みの回数を減らすか、休みの時間を短縮した方が、目的地までよっぽど早く着くのではないのかと思う。

 

 そこまでスピードを出して運転しても、どれほどの時間を生み出すことが出来るのだろうか…

 

 そもそも思うのが、交通事故や交通違反のリスクを負ってまでして捻出した時間を、どれほどの人が有効に使うことが出来ているのだろうか…

 

 多分、一服したり、スマホやテレビを観たりと、何気なく過ごして終わってしまっているのだろう…

2、3個とは…❓ いったい幾つですかね~

 

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 昨晩、遅くまで家飲みしていたため、昼近くまでソファーでゴロゴロしていると、妻が昼飯をどうするか聞いてきた。

 

 子供達は各々好きな食べ物を挙げるのだが、いくらリクエストしても、冷蔵庫にある食材の都合から、おのずとメニューは限られて来る。

 

 結果、息子はお餅、娘はおにぎり、私はパンとなり、おかずは鶏のから揚げに決定した。

 

 次に妻は、から揚げの個数を聞いてきた。

 

 子供達は「8個」「4個」と、思い思いの数を述べる。

 

 私は、それほど食欲がなかったため「2、3個」と答えた

 

 それを聞いた娘が、「2、3個って何個?」という、子供らしい疑問を私に投げかけて来た。

 

 すると妻が「3個のことだよ。2、3個って言っても、2個じゃ嫌なんだから」と、私の代わりに返事をした。

 

 確かに2、3個と言っておいて、実際に2個しか出て来なかったら少し悲しい…

 

 よって、その発言には、3個欲しいという思いが込められているのだ。

 

 通常、その様な言い方をして、2個しか出て来ないことはまず無いだろう。

 

 また、「2個と3個のどっち?」と聞き返されることもめったに無いのでは?

 

 3個欲しいとの意思を察してくれるのだ。

 

 2、3個の「2」の部分には、自分の欲求をそのまま伝えるのではなく、少し遠慮がちにモノを話す日本人らしさが見える…

 

 

 この習慣…

 

 一見、自分の意思を中途半端に表明しているように見えるが、私は日本人特有の奥ゆかしいやり取りだと思うのですが…