今週のお題「爆発」
ということで、私の中では「爆発」に近い思いを書いています。
(本文)
テレビなどで若者達が使用している言葉に着目し、出演者達が「嘆かわしい」「残念だ」といったコメントを、然もあらん顔でしています。
ただ、私としてはそれも時代や世相を表す一つの「文化」ではないかと考えます。
これだけ移り変わりの激しい世の中で、それこそ昭和初期から変わらぬ日本語を皆が使い続けていたのならば、それはそれで少し不気味に思えます。
また、老若男女が同じ口調で話していることも不自然で、若者には若者の、年配の方には年配の方の言葉があっても良いのではと考えます。
何よりも、それほど心配しなくとも、余りに妙な日本語ならば、流行と同じ様に、時間の経過とともに廃れ、自然と消えて行くのではないのでしょうか…
一方で、10年経っても廃れずに、誰もが使用していたならば、それは「若者言葉」「間違った日本語」といったくくりではなく、新たな文化として認めるのも「アリ」だと思います。
よくよく考えると、私が正しい日本語を意識して話す機会は、結婚式などのスピーチや、何かの面接の時ぐらいかな~
誰もが普段から、完璧な日本語を使っているとは思えません。
それは「言葉が乱れている」のではなく、世相を反映した表現をしている結果だと思います。
一方、「言葉の乱れ」を散々取り上げて来たマスコミも可笑しなもので、毎年暮れが近くなると、その年の「流行語」を褒め称えるようになります。
そして、その中には沢山の「乱れた日本語」がノミネートされています。
私はこの流行語大賞が大好きです。
ここで賞を獲っても、その後ほとんどの言葉は定着しないのですが、何よりもその時代の世相を表した言葉達が、揃い踏みするからです。
また、過去の受賞作を見るだけで、当時の時代を鮮明に思い出すことが出来ます。
私は「言葉の乱れ」単に嘆くのではなく、その時代を色濃く映した文化として、後世に残して行きたいと思うのです。
(おしまい)
本日もお読みいただきありがとうございます。