春雨☆サラダ

50歳 2児の父‼️ 好きなものはハードロック、JAZZ、ゴルフ、カメラ、ラグビー、バーボン、芋焼酎、中村あゆみ、高崎晃、ランディローズ、前田日明、田村潔司… 愛読書は北方謙三… 一番大切なものは、晩酌と子供たちとの時間!

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賛否両論、問題作だと思いますが… 認知症について書いてみます

 賛否両論の問題作だと思いますが、認知症について思っていることを書いて見ます。

 

死ぬことが怖い…

 私は昔から、自分の“死”というものが非常に怖かったです。

 

 今も、あれこれと考えている時、ふと「自分の気持ちや心」が、死んだ後にどうなってしまうのか想像するだけで、不安で仕方なくなります。

 

 これは多分、私に限ったことではなく万人に共通していて、また、過去から現在、そして未来永劫変わらないことであり、その恐怖から逃げるために、時の権力者は様々な方法で不老不死を求めていたという史実が多いのだと思います。

 

 一方で「死後の世界」などについて書かれた書籍が、今も店頭に並ぶのも、「死の後」について、何かがあると信じたい人達が多いからではないでしょうか。

 

 私は認知症ということについて、非常に身勝手な一つの考えを持っています。

 

 それは…

 

 認知症は、そうした死の恐怖から、少しでも逃れられる術ではないのか…」という…

 

 認知症になることは誰しも望むべきものでなく、またそれは家族を中心に、周りの人々に大きな負担を強いることになることは十分に承知しています。

 

 また、私自身、この18年間、祖母の介護、父の看護を経験し、今は「母の介護」の真っ只中にあります。

 

祖母の認知症

 始まりは18年ほど前でした。

 

 同居していた祖母が、認知症との診断を受けました。

 

 実子である母が介護の中心となりましたが、私を含む家族全員に、初めて「介護」という負担が圧し掛かってきました。

 

 医師の指導のもと、ケアマネさんの力も借りながら、介護することを学び、認知症への理解を深めまて行きました。

 

 しかしながら、身体的、精神的負担は重く、些細なことからも家族間で喧嘩となったこともしばしば…

 

 その間に、大切な父が大病を発症したこともあって、母の負担は相当なものとなり、自らの体調を崩してしまいました。

 

 何よりも…

 

 あれはまだ初期のころでしたが…

 

 介護される祖母自身が、折に触れて「自分が情けない」「みんなに申し訳ない」という言葉を繰り返し、泣き崩れる姿を見ると、掛ける言葉など見つかりませんでした…

 

 その様な祖母を見て思ったのです…

 

 一つの考え方として…

 

 ゆっくりと進む認知症であるのならば、先に述べた老いによって、自身の存在が消えてしまうという、“死”に対する万人の恐怖を、少しは緩和してくれるのものではないのか…

 

 そんな考えでも持っていなければ、日々症状が進行する祖母の姿は、余りに悲しくて直視することは出来ません。

 

 また、自身の体調を崩しながらも、毎日毎日、朝から晩、そして夜中から翌日の早朝まで、まさに24時間介護にあたる母の姿を見ることも出来ませn。

 

 その後、祖母は旅立ちました。

 

 その半年後には、長年、難病と闘って来た父も旅立ち、私の母一人が残されました。

 

母の介護

 母は、祖母と父の介護から解放されたので、明るさを取り戻すと思っていました。

 

 しかしながら、その後、何かと精神的な負荷が掛かると、身体が硬直して動かなくなることが増え、おかしいと思い病院を受診すると「パーキンソン病」との診断が下されました。

 

 今度は、長男である私自身に、介護の負担がのしかかって来ました。

 

 仕事をしながらの介護は、非常に困難を極めました。

 

 始めはデイサービスに通っていたのですが、出勤前に実家により、朝ご飯を食べさせて、デイサービスの支度をします。

 

 会社帰りには、毎日配送されるお弁当を、温めて母に食べさせます。

 

 時には、日中に「腰が痛い」「お腹が痛い」などと訴えていると、施設から電話が入り、大事な商談を投げ出して、病院に連れて行くこともありました。

 

 夜中や、早朝に「具合が悪いからすぐに来て」と呼ばれることもしばしば…

 

 その様な状態だったので、私もイライラしてしまい、つい母に辛く当たってしまうことも段々と増えて来てしまいました。

 

小規模多機能へ入所

 

 母自身も、段々と動かなくなる自分の身体が、とても不安なのでしょう。

 

 また、独り暮らしなのも良くないのかも知れません。

 

 私が「今日も仕事に差し支えた」「自分の時間、自分の家族との時間が持てない」等々、イライラした口調をぶつけてしまうと、母は「本当にごめんなさい。でも、どうしたら良いか分らない…」と泣き崩れます。

 

 内心「しまった、言い過ぎた」と思いつつも、引っ込みが付かなくなり、そのままに…

 

 私が帰宅後、母は叔母や私の妹に、今日あった出来事を、長々と電話で話すようになりました。

 

 この様な状況を見て、叔母や妹から、もう独居は無理だから、施設に入れることを考えようと提案があり、小規模多機能施設へ入所することになりました。

 

 その時点では気付かなかったのですが、この時すでに母は、精神障害を発症していたのでした。

 

 今思うと、パーキンソン病により、徐々に身体が動かなくなる恐怖と、私がイライラして、辛く当たってしまったのが原因であったのではと思います。

 

 母は、精神病院に緊急入院となり、3ヶ月の治療後、無事に退院の運びとなりました。

 

現在の母を思う…

 精神病院退院後は、様々な施設への入所を繰り返しています。

 

 正直なところ、どこの施設に入っても不満がたまり、次の施設へと移動…

 

 週末は自宅に帰って来なくてはならないのですが、一人にしておくことも出来ず、私が週末に実家に泊まりに行くことになります。

 

 弟、妹も非常に協力的で、助けてくれるのですが、二人とも県外に住んでいるため、そうそう毎週は頼めません。

 

 私も母との時間を過ごしたく、施設では行えないリハビリなどを自宅に帰って来た際には行いたいので、最初はちょうど良いバランスに思えていました。

 

 しかしながら、最近思うのは、毎週末、私が居ないことで、自分の妻、息子、娘と一緒にご飯を食べることが急減してしまったことです。

 

 平日は、それぞれの生活時間が異なるため、朝食、夕食時に全員が顔を合わせることがありません。

 

 土曜日、日曜日だけが、家族揃って食卓を囲む時間だったのです。

 

 母との時間も貴重ですが、子ども達と一緒に過ごせる時間も、ともに「今」しかないのです。

 

介護とは…

 結局のところ、介護とは自分の何かを犠牲にしなくてはならないのでしょうか…

 

 金銭面はまだしも、「自分の時間=自分の人生」「自分の子供達との時間」といった、大切なモノをどうしても削らなくてはなりません

 

 母は、週末に自宅に帰って来て、最初は調子が良いのですが、段々とマイナス思考の発言が多くなって来ます…

 

  母の一番の不満は施設の対応が主で、「施設が歩行訓練を行ってくれないせいで、自分の足が動かなくなって来た…」「2週間前までは歩けていたのに…」といったものです。

 

 パーキンソン病にて、身体が段々と思い通りに動かなくなる恐怖心は、相当なものでしょう。

 

 それがまたストレスとなって、身体を動かなくさせる…

 

 母の場合、それほど認知は入っていないので、パーキンソン病による身体の不自由が、常に「死ぬのではないか」との不安に繋がっています…

 

 その様な状態なので、日曜日の夕方、施設に送るころには、母からのマイナス思考の発言の連続で、どうしても口論となってしまう…

 

 施設にお迎えに行くまでは、「今回は絶対に1回も、母と口論しない、気持ち良く過ごす」と心に誓っているのですが…

 

 今日もまた、母との時間が始まります。

 

 同時に、自分の妻、子供たちとの時間は削られます。

 

 それだからこそ…

 

 今週こそは、どんな母の言葉も受け入れて、笑顔で接しようと誓います…

 

(おしまい)

 

本日もお読みいただきありがとうございます。