スマホ、携帯電話の普及とともに、電話ボックスを見掛けることが殆んど無くなって来た。
私にとっては、大学生になって一人暮らしを始めるまでの間、それはとても大切な場所であった。
当時私は祖父母を始め7人の家族と住んでおり、一人が電話を長時間使用することなど出来なかった。
たまに長電話をしている時に限って、他から電話が架かって来る…
それがまた、父の仕事の関係であったり、町内の関係であったり、学校の連絡網であったり… 大切な電話が多かったりするのだ…(今では、仕事の電話が家電なんて、めったにありませんが…)
長電話を何度も叱られて、それでも改善されない状況を見かねて、ついに“キャッチホン”が導入された。
ただキャッチホンは、他から電話が架かって来たことを視覚的に知らせるのではなく、“プツ、プツ、プツ”といった、受話器越しに“音”で知らせるため、会話の邪魔になるだけではなく、通話中の相手方にも気を遣わせてしまうため、とにかく一度電話を切りかえるしかない。
そして、電話を掛けて来た人の要求する家族に替わるしかないのだ。
これでは、他の電話を“キャッチ”するというよりも、楽しい会話に“割り込む”サービスと言った方が適当かもしれない。
そして電話を渡した家族には決まって「また、長電話して」と小言を言われる…
また、会話の内容によっては、電話している私の近くを他の家族が通る度に声を潜める必要があり、常にビクビクしながらの通話となる。
そのような不便さを全て解決してくれるもの…
それが電話ボックスだったのだ。
電話ボックスからならば、先方の電話にキャッチホンが入らなければ良いので、割り込まれる確率は自宅と比べて二分の一となる。
また、電話ボックスという外と遮断された空間のお蔭で、自宅にいるよりも大きな声で、周りに気兼ねなく話すことが出来る。
よって、自宅近くの電話ボックスを幾つ知っているかが重要であった。
近くの公園などには大抵電話ボックスはあったのだが、私と同じように外での長電話を楽しみたい人達も多く、使われている場合も多い。
私はその人の気持ちも良く分かるため、近づいて早く終わるのを急かしたりはせず、他の電話ボックスを探すようにしていた。
複数把握していた近所の電話ボックスを、一通り周ればどれかは空いている。
それでも見つからない場合には、少し遠くはなるが必ず空いている、小さな公民館前の“最後の砦”にまで行ったものだ。
移動手段は自転車しかないため、寒い日もあれば暑い日もあり、雨が降っている日もあったのだが、それを全く苦労と感じていなかったのが今では不思議である。
その頃私が利用していた電話ボックスも、今では2か所だけとなってしまった…
そこを通るたびに、あの頃のことを思い出す…
今の携帯電話ではありえない“不便さ”があったからこその、懐かしい思い出だ…