以前、この春から夕刊が無くなった記事を書いた…
↓ 要約
夕刊の代わりにアプリ配信…
アプリとは、アプリケーション…
その意味を突き詰めて行けば「裏方的な存在」と言うらしい。
アプリは、新聞配達員という「裏方的な存在」に代わることが出来るのだろうか。
しかしながら、夕刊の配達員の姿、バイクの音が聞こえない夕暮れ時は、この街に何かぽっかりと穴が空いたようだ…
このように、また一つ昭和の文化が無くなり、寂しさに暮れている内容であった。
夕刊が無くなってまだ一ヶ月…
最近では、そんな夕方の街の風景にも慣れ、一方で夕刊代わりのアプリにも慣れ、地元の情報がリアルタイムや速報で入って来ることに、非常に便利さを感じる日々を送っている。
今は、正しいニュースも、誤ったニュースも、良くも悪くも直ぐに伝えられる時代…
情報の正確さよりも、早さが受け入れられる風潮…
新聞報道でも、過去に多くの誤報があり、それ自体を信じることは出来ないし、週刊誌に至っては…
なぜだろう…
人間には野次馬的な気持ちが強いこと、他人の幸、不幸に興味があることが、根本にあるのだろうか…
50歳を過ぎて、嫌なニュース、心が重くなるニュースを、出来る限り目に入れたくないと思う今日この頃…
スピード感は無くても良いので、正確な情報が欲しいとも思う今日この頃…
心温まるニュースだけを知りたいとも思う、今日この頃…
(おしまい)
本日もお読みいただきありがとうございます。