by Udemy
少年時代、考古学に「ロマン」を求めていた…
古代ミステリーを報じるテレビ番組に夢中になっていた。
その後、インディジョーンズの登場でその思いは加速し、ノンフィクションはもちろんのこと、ちょっと逆説的でフィクション風の「歴史モノ❓」まで、様々な古代文明や遺跡に関する書籍を読み漁っていた。
そして、将来の夢に「考古学者」という選択肢が登場することになる…
しかし残念ながら私の学校での「歴史」の成績はインディアナ・ジョーンズ・ジュニア博士のようにはいかず、私の好奇心に反比例するがごとく低迷し、その夢は大学受験を機に断念することとなった…
今でも書店に行くと、一般的な歴史と違った角度での魅力的な見解を唱えたり、そして神秘的なものに感じさせてくれる書籍が沢山出版されており、ついつい魅せられて購入してしまう。
この様な歴史の魅力を、中学、高校時代の教科書や、受験勉強で教えてもらうことが出来ていたならば…
歴史とは、現代の人々が史跡や史書、時には言い伝えなどにより、史実を読み解くものであり、それが100%正しいかどうかは誰にも分からない…
よって、私たちが学校教育で学ぶものは、多くの証拠により裏付けられ、誰もが認める「歴史の表面的な部分まで」となっているのではなかろうか…
それゆえに、教科書では人物の年代や活動記録ばかりが中心に記載され、その背景にある「事情」や「心情」にまで深く踏み込んだ箇所は少ないように思われる。
推理小説にしても恋愛小説にしても、欠かせないものは「動機」であり、それが聖人君子なものであれ、ドロドロとした邪悪なものであれ、最も面白いところである!
しかしながら、実際に歴史上の人物の、心の奥底を計り知ることなど出来ないため、それを教科書に書き記すことは難しいのだろう…
例えその人物の自叙伝があったとしても、果たしてどこまで自身のことを包み隠さず記述しているのかは疑問である…
だって私なら絶対、人に知られたくない恥ずかしい出来事などを、自ら口にすることはないし、まして記述することもしない!
仮に、私自身の記録を後世に残すならば、他人に自慢したい出来事や、少しでも自分を美化した立志伝のオンパレードのようなものになるであろう(笑)
歴史には様々な説や解釈があるが、どれも100%の裏付けを取ることが難しいため、新しい史実の裏付けが発見されるたびに、新たな白熱した論争が起きることも魅力の一つである。
でもね、いくら論争を繰り返してもね、それでも、「ホントの歴史」は永遠に分からないはずである…
何故ならば、「ホントの答え」を知っているのは、歴史上の人物自身だけなのだから…
私が思うに…
歴史を探求する魅力とは、「あーでもない、こーでもない」と、後世に残された人々が当時に想いを馳せ、そこにロマンや興奮を感じるところなのだと思うのです。
だからこそ、いつまでたっても面白い!
(おしまい)
今日もお読み頂きありがとうございました。