その復元や保存のために、実に多くの人々が携わり、また多大な時間と費用が掛けられている。
しかしながら今行われている作業の全てが、果たして人類にとって、本当に必要なことなのだろうか?
昨今、貴重な文化遺産が気候温暖化を始めとする異常気象や、戦争や内戦といった人的要因によって破損される事案が取り沙汰されている。
中には、封印されていた史跡の扉を開けてしまったが為に、外気に触れてカビや酸化が発生してしまうという、何ともお粗末な事象まで発生している。
ただ、それらは全て人類の進化や探求心、環境破壊という“風雨”に晒された結果でもあり、これもまた人類史の一つと言えるのではなかろうか。
私も文化遺産などはいつまでも美しくあって欲しいし、出来る限り今の姿で後世に伝えて行きたいとは考える…
一方で、あまりにも人が手を掛け、時には「復元」と言う名のもとに、以前よりも美しくしい「モノ」へ変えてしまうのは、今の環境問題や地域紛争といった悪い遺産を、後世に伝えたくないがばかりに、それらを覆い隠しているかのようにも感じる。
私達が文化遺産や史跡に感動を覚えるのは、何百年も前の歴史的建造物などが、悠久の時を経て、また、数々の自然災害や人的災害に見舞われながらも、今もなお現存する姿を観てのことではなかろうか。
決して修復、保存作業を否定している訳ではありません。
今後も、是非とも行って欲しいものである。
しかしながら、それが過ぎるとその分「悠久のロマン」が「虚飾の偶像」に変わってしまうようで寂しい…
(おしまい)
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