生前、私のおばあちゃんは、歳を追うごとに、戦時中の話をするようになっていました。
おばあちゃんの話の多くは空襲のことです。
警報とともに焼夷弾が雨のように降り注ぐ中、おばあちゃんは曾おばあちゃんと一緒に、逃げ回る日々だったそうです…
また、目の前で防空壕が被弾することもあり、その度に自分達がその中に避難していなくて良かったと胸を撫で下ろしたことも数知れないそうです…
そのような話を聞くたびに、戦争の悲惨さはもちろんであるが、何よりも自分が今この時代に存在していることの“奇跡”を感じてしまいました。
もしもその時、おばあちゃんが一度でも逃げ遅れていたり、不幸にも被弾した防空壕の中に隠れていたとしたならば…
一方で、出兵していたおじいちゃんに“もしも”のことがあったならば…
当たり前のことですが、私の母は生まれては来ないわけで、今の私が在るはずも、私の子供達も存在することは無かったのです。
同じようなことは、父方の祖父母についても言えます。
更に言えば…
私の沢山のご先祖様達は、歴史の教科書にもある戦国時代の争乱期や幾多の動乱、飢饉など、様々な危機を懸命に生き抜いてくれたのです。
それには多くの幸運も味方したに違いなく、私が“今”を生きていることは、本当に奇跡的な確率であり、私の存在とは自分一人のものでは無い様に思われます。
未だに世界の各所では動乱が絶えず、悲しいニュースが無い日がありません…
その様なニュースを見ていると、ご先祖様達のもたらしてくれた、この“奇跡”に感謝するためには、今の自分を大切にして、毎日を精一杯生き抜くことが何より大切だと、ふと思うのでした。
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