今週のお題「下書き供養」
※下書き供養なので、遠慮なく投稿します…
最近では、スマホやパソコンの普及により、データのやり取りだけで、好きな音楽を取得し、自分のオリジナル楽曲集なども簡単に作れるようになった。
私もそんな“現代の便利な道具”を使用しているのだが、先日実家に帰った際に、昔懐かしいカセットテープの数々に再会し、レコードからテープへと、せっせとせっせと多くの時間を費やしてダビングしていた日々が思い出された。
カセットテープ背面のタイトルは、アルファベットシール(正確な名前は分からない…)で作り、収録されている曲目は手書きで記されていた。
アルファベットシール…
それは厚目のビニールシートにアルファベットが複数並んでおり、先端の堅いもので擦ると、下に敷いたカセットテープの背面に文字を転写することが出来るものだ。
出来上がってみると、文字が右肩下がりになっていたり、日本語のタイトル名を無理やりローマ字表記にするので、かえって読み難いものとなったり…
中には途中で、大文字のシールが足りなくなり、仕方なく小文字のアルファベットシールで代用したため、全体のバランスが非常に悪くなっているものもある。
それらは、人に見せるのも恥ずかしく、自分だけのものとして棚に並べられていた。
なにせ、パソコンはおろかワープロでさえ、一般家庭に登場するのはまだまだ遠い先の話である。
手書きで書かれた曲名にしても、走り書きのようなものもあれば、丁寧に丁寧に記されたものもあったりで…
今と変わらぬ気分屋な自分の性格を思いつつも、稚拙な文字も歳を重ねるにつれ、僅かではあるが成長も見え、日記をつける習慣がなかった私にとって、久方ぶりに昔の自筆との再会となり、テープに収録されている曲目以上に感慨深いものがあった。
几帳面ではない私が、何故そのようなことに時間を費やすことができたかというと、今と比べて不自由さが故に、ゆとりを醸し出す時間があった時代だったからと言うしかない。
私の学生時代、好きな「音楽」を手に入れるには、まず自転車で街のレンタルレコード店に足を運び、レコードを探して借りてくるところから始まり、自宅に帰ってステレオでカセットテープに録音するのが普通であった。
今のように、自宅にいて机の上でパソコンを操作するだけで、24時間いつでも入手出来るものではない…
暑い日もあれば、寒い日もあり、時には雨の中でも、とにかく家から出なければ、好きな「音楽」は手に入らないのだ。
(それ以外は、FMラジオで放送してくれるのをひたすら待つ!)
また、自宅に帰ってのステレオでの録音作業は、レコード針が実際に音を奏でる仕組みのため、幾らスピーカーをオフにしても小さな音は漏れてしまう…
深夜の録音では近くに寝ている家族を起こさないかと心配したことも懐かしい思い出だ…
更には、今のようにデータを圧縮転送するなど録音時間を短縮出来るような機能はないため、収録されている演奏時間をそのまま待つしか無かった。
ただその間は、カセットテープのタイトルを作成したり、曲名を手で書き写したりと、やることも多く忙しかったものだ。
現在のデジタル機器の場合、例えば20年後にそれを手にとったら、このように当時の思い出に浸ることが出来るのだろうか…
どのような形で、思い出がよみがえるだろうか…
これは何も音楽に限ったことではない…
身の回りの様々なものがデジタル化されることで、私たちの思い出は、「早く」「簡単に」「美しく」記録することが可能となったが、アナログにまつわる思い出までも記憶しておく力は伴っていないように思われる…
それは、ある一定の不便さの中にこそ、思い出が宿るからなのではないだろうか…
(おしまい)
本日もお読みいただきありがとうございます。