大きな出来事や事件があると、「戦後初めての…」とか「戦後○番目の…」といった表現での報道を良く耳にする。
それらは、「あまり良くないこと」を伝える場合に多いような気がする。
なぜだろう…
戦争前は、技術や機械が無くて色々な記録が残っていないのだろうか…
戦時中の混乱下では、記録する余裕など無かったのだろうか…
記録はされていたものの、戦争によって失われてしまったのだろうか…
実は色々な記録が残されているものの、戦時中はとても悲しい記録で満ち溢れていて、それらと比べてしまうと、今起きている出来事の悲惨さが薄れてしまうため、敢えて「戦後」という区切りを付けているのだろうか…
戦争を体験された方々の高齢化が高まる中、終戦記念日が近づくと、その風化防止が叫ばれる…
しかしながら、私を含めた戦争を知らない世代に、その悲劇を伝えるのならば、常日頃の報道においても、戦争時の悲しい記録も含めて伝え貰えたらと思う…
事ある毎に、戦争の悲惨さに触れて行くことが、風化防止に繋がるのではなかろうか…
そもそも、戦前、戦後という区切りをするのはもう止めにしたいとも思う…
全てを含めて、私達の歴史なのだから…
それによって、今も世界各地で続く紛争や争いを身近な出来事として感じることや、毎日のように目にする、些細なことが原因で大きな悲劇へと発展してしまう出来事などを、悲しい出来事の抑制にも繋がるのではなかろうか…